どうも、インタビュワーしんのすけです。
突然ですが、質問です。
「もしかしたらオレの頭は狂ってるんじゃないか。」そう自分を疑ったことは、ありますか?
今回は、自らの実体験を通して、徹底的にこのテーマを追求してこられたフリーランス営業マンのYさん(匿名希望)にお話を伺いました。
Yさんはとても博識な方なので、その所以をお聞きしようと思ったところ、私が思ってもみなかった方向に話が転がっていくので、みなさんにもその雰囲気を味わっていただければ幸いです。
終始、和やかにスリリングな会話を楽しみました。
他己紹介
Yさん。31歳男性。フリーの営業マン。誰にでも丁寧に接するスーパー紳士。でも興味を持ったことはとことん追求しちゃう探究心の塊。ありとあらゆるジャンルの知識を持つサイエンスの申し子。英語ペラペラ。趣味はグルメ探訪。まだお若いのですが、独特の落ち着きオーラを醸されてます。お顔をお見せできないのが残念ですが、爽やかイケメンです。
コワーキングスペースを通して知り合って、ランチご一緒したり、ジョギングご一緒したりする私の貴重な友人です。
現在は、海外のシステム開発会社の日本窓口業務やマネジメントをメインの生業とされておられますが、以下のように活動はかなり多岐に渡ります。
- ブロックチェーンシステムの設計
- オンラインゲーム企画設計
- PRライター
- バーの照明装置発案
- 家庭教師
- 占い師
- グルメ情報を共有する会の主催
- 覆面調査員
- 分子ガストロノミー
- リモート飲み会グループ幹事
- 心理分析
- 恋愛コミュニティグループ運営
などなど。。。。只者じゃないのはわかりますが、何者かナゾです。笑
謎過ぎて、もっと深く知りたい!と思って、今回インタビューとなりました。と、いうわけで、よろしくどうぞ。
お店
本日のお店はコチラ
探究心の源泉
12月某日 おしゃれイタリアン「ラ ピニャータ」にて
Yさんってなんにでも精通してますよね。科学も含めてなんでそんないろんなジャンルのことに詳しいんですか?
しんのすけさんほどではないですよ笑
そう見えますか。なんででしょう。東京の大学でした研究が楽しかったからですかね。
大学院でやってたのは、筋肉や脳みそと心の研究でした。
家庭教師もやってました。教育分野は脳みその研究ともカブるところもあり、子供の成績をいかに効率よく上げるかに関心があったので、「教える」ということにのめり込んでやってました。
「心のありよう」と「脳の信号」を結びつける学問も2010年頃は活発になってきていて、研究を通して多くの人から話を聞かせてもらうことができました。
(研究をしているうちに、自分の作業だけでは自分の知的欲求を満たすことは一生かけても到達できないと思い、)だいたいどの分野でも、誰がどんな研究をやっているのかは把握しておきたいと思っていました。可能な限り知見を広げたかったんです。
それがすごい。そう思ったもともとの動機づけ。きっかけはなんだったんでしょうか?
根本的な話で言ったら、幼いときから、家族や周りの人たちを誰も信用できなかったんですよ。
誰の言うことも信用できない。
なので、必然的に自分しか頼るところがなくて。
なにかあっても全て自分でなんとかできるような環境をつくらなきゃ。と思って勉強に打ち込みました。
それは。。。。暗い過去ですね
そうでもないですけど、人によってはそう思うかもしれませんね。
今となっては、「こういう人生もありだな」と思ってます。
結果的に、なんやかんや思い通りにできるようになってきたので、こういうのも、まぁアリか。って感じです。
ものすごい前向きですね。
インターネットのおかげです。
世の中が変わって、多くの情報に自由にアクセスできるようになったことで私は救われました。
もし、ネットが世の中に存在していることを知らなかったら、10歳いく前に自殺してたんじゃないかなと思います。
ネット上の記事をたくさん読んで、いろんな考え方の人がいるんだってことが分かって、それに救われたんです。
壮絶な過去
パンはオリーブオイルを軽くつけて食べる
もし、聞いてよければ、どんなことがあったか教えてもらえますか。
私が生まれた家は、カルト宗教にハマっていて家庭崩壊の少し手前でした。
熱心な信者の母親と、働いていない父親。
常にお金のことで言い争いが絶えない家でした。
子供の私は、毎日のように宗教の勉強をする義務がありました。
家庭内ではカルトの情報以外はシャットアウトされていて、
学校へ行っても、他の子と気安く喋ることは禁止されていました。
外部の友達をつくってはいけない。
外部と仲良くする人間は悪魔の仲間。
そういう刷り込みを物心つく前から、ずっと受けてました。
子供にとって、残酷な縛りですね
「(宗教の評判を落とさないために)ちゃんとした人でいなさい」という教えはありました。
だから、勉強や生活の規律はしっかりしていないといけない。
悪魔の使いと呼ぶくせに、困っている他人には優しくしなさいという教えもある。
逆に言えば、大人しく勉強する以外のことは許されなかった。
他には何も許されていない。
キリスト教系なので、聖書の勉強もたくさんしました。
だいぶ聖書の解釈ずれてんなぁとは思いますが。笑
今もその教団はあるんですか?
今もあります。世界中で150年以上続いている教団です。
洗脳教育や過激な行動から、何度も社会問題化しています。
輸血拒否問題とか。
あぁ...(笑)。エホバの証人ですね。
そうです。笑。
脅し文句が多いところですね。
「◯◯をしたらハルマゲドンで滅ぼされる」
「◯◯をしたら追放される」
みたいな。
たしかに。あそこは脅し文句を多用するやり方ですよね。
物心ついた頃には、母親はそれを10年以上受け入れて生きていました。
当時の私には、母親の本心から出た言葉と宗教から出された言葉の区別ができませんでした。
当初の頃は、私が勉強してできる事が増えてゆくと褒められましたが、
次第に「教義に背いている!悪魔の仲間になるのか!」と言われるようになり、大学へ行く時点で家族とはほぼ決裂しました。
世の中のことを詳しくなり過ぎちゃったら不都合が起きるんでしょうね。
仕組みを運営をしてる側からしたら、そうですね。
でも仕組みにハマってる信者側からすると、
「言うことを聞かないと大変な目に遭う。」
それだけがすべてなので。
仏教系で言えば、第六天魔王が来てとんでもない災いをもたらす。と脅しますね。どこも似たような話がありますね。
そうですね(笑)
そんな状況だったので、試しに先生に相談してみたこともありましたが、「家庭の事情」なので何も言えないようでした。
親の「こういうふうにしなさい」というアドバイスのほとんどが実社会とかけ離れていて、言われたとおりにする度に人間関係は崩壊してゆきました。
例えば、勉強を教えている間に少し仲良くなった人には、いずれ必ず私から勧誘をするよう強いプレッシャーをかけられました。
私の知らないうちに親が勧誘していて、気づいた時には嫌われているということも少なくありませんでした。
直接被害を受けて私から離れていった方もいましたし、何より「すでに自分は自然に生きているだけで他人に害を与える人間である」ことに耐えられず、自分から交流を絶つようになってゆきました。
そこで、自分しか頼るものがない。という状況に置かれました。
少年時代、家族は信用してはいけない。他人とは関わってはいけない。と心に誓いました。
これはYさんのバックボーンとして大事なお話が聞けました。
壮大な脱出計画
冷たいにんじんのスープがめっちゃうまい
生まれたときから洗脳状態だったのに、いつおかしいって気づきましたか?
小学2年生くらいからですかね。
毎日聞かされる話が、学校で人から聞く話と随分違いました。
最初のうちは個性の範囲だと信じていましたが、知識が増えるほど無理があることに気づきました。
母親や、宗教内でちょっと偉い人におかしいと思うことを、たくさん質問すればするほど、誤魔化したり、的はずれな回答をしたり、そもそもきちんと知らなかった。
このことから確信へと変わっていきました。
しかし、気づいたところで、どうしようもありませんでした。
すでに母はこの宗教に支えられて生きてきたので、なくてはならないものとして捉えていました。
その生き方には、当たり前のように私の将来も含まれていて、幼い私には拒否権がありませんでした。
物心ついたときから大学生になるまでとなると、壮大な脱出計画ですね。
本当は、このまま自分から洗脳を受け入れる人生の方が皆のためになるかなと思っていた時期もありました。
「母親がそこまで真剣なら、きっと自分の知識が足りないだけで、自分が間違っているのだ」と思って、人生の結構な期間をかけて宗教の発行する資料を研究したものです。
でも、全然無理でした。
親の言う通りにすると、人間関係はことごとく崩壊していく。
常に精神的に大きなダメージを受けるような行動を強いられていたので、私は自然と自分の感情を手放し、自分の意思を持たない都合の良い人形として演技するようになっていきました。
生活費と学費を貯め、大学へ行って一人暮らしを始めてからは、自分がゼロから人間関係を構築する方法を学び直さなければ!と思いました。
子供のときの将来の夢はなんでしたか?
精神科のお医者さんでしたね。
同じ環境にいた姉弟はみんな精神的にやられていましたので。
それに医師免許あれば、まず食いっぱぐれないかなと。
医者になって姉弟を救おうとしたんですね
そこまで綺麗で立派な志ではありませんでしたけどね(笑)
自分の脳がおかしいと思ったのも強い動機でした。
カルトにハマる人というのは個人の問題ではなく、その人を取り巻く人間関係全体がこじれてしまっていることが原因になっていることが多いと思います。
説得するとか、話し合いをするとか、そういう次元の問題ではありませんでした。会話が成り立たないので。
私が経験したあの環境下で一番最初に救われるべき被害者はだれかといえば、子供かなと思います。
親は納得してその場所を選んでいるけれども、子供は何もわからないうちに自らを不幸にする選択を強いられている。
そういった子どもは救いたかったし、今でもそう思います。
高校のときは周りに仲良い友だちはいましたか?
勉強の話ができる人や、一応の雑談ができる人ぐらいはいました。
でも、高校生のときから、大学のために学費を貯めないといけないと思っていたのでかなりの時間バイトをしていました。
ちなみに、バイトの面接では、コミュ障というのが一発でバレて、私の希望とは異なり、居酒屋のホールではなく厨房役に配置されたりしてました(笑)
毎週一定時間は宗教に時間を取られる上、バイト代の一部を家計の足しにする必要もあり、あいた時間は1秒でも惜しいと思って必死に勉強してました。
なので、いわゆる「楽しい放課後」みたいなものとは無縁でした。
そして、無事大学から一人暮らしを果たし、家族と狂信的な環境から離れることができました。
人間関係のビッグデータ
カツオとパプリカ・オリーブのトマトソーススパゲッティ(モリッカ風)。むっちゃうまし!
脱出後の生活はどんな感じでしたか?
大学では優待生制度で学費免除を受けることができ、生活に少し余裕ができました。
そうして自分でスマートフォンを買ってからはまさに革命でした!
こんな世界があるのか!!みたいな興奮を覚えました。
ネットをどう使いましたか
まず最初に、他の人は「どんな感情で生きているのか」を知りたいと思って、片っ端からSNSでアポイントをとって、人に会って話を聞きました。
データの数はたくさん欲しいな〜と思って3000人くらいには会いました。
なんか感情が芽生えたAIみたいなセリフですね(笑)
脳の研究や精神医学に興味を持った一番の理由は、私自身や家族が長い間洗脳教育を受けており、多くの人と意見が合わなかったので、「自分の思考回路はおかしいんじゃないのか?」と思ったからですね。
「他の人たちの"常識"はどう形成されているのか?」「脳はまずどうやってものごとを"常識"として取り込んでいくのか」を調査しないといけない。
それでたくさんのデータを集めたいと思いました。
おもしろい。友達作るの禁止されてましたもんね。自由になって、欲求が爆発したんですね。
何かが欠落している感覚は強かったですね。だから、一般的な人の経験を追体験したかったんです。
小さい時に人間関係の構築を禁止されていたので、友達の作り方がわからないまま年齢だけは大人になっていました。なので、それがすんなりできる人は特に注意して観察・分析していました。
話した人からは、「妖怪」などのニックネームをもらったり、「早く人間になりたい」などの自虐ネタもできたりしましたけど、おかげで、表面的な形だけなら、なんとかできるようになりました。
加えて、心理学と脳科学を勉強したので、いろんな感情をトレースできるようになりました。
長い間自分自身の感情を封じ込めて無視していたので、表現の仕方をいちいち動画を見て仕草を覚えたりしましたね。
根本を知ると、Yさんの幅広い活動がやっと理解できてきました。だから積極的に人に会われるんですね。
そうです。
だから、私という存在は、今まであったことのある人から取得したたくさんのデータの集合でしかないんです。
未だに他人のことは基本的に信用できないままだし、あれを言ったりこれをしてはダメ。と自分を抑圧しようとする強い感覚が湧き上がってきます。
「こういうことを言うと、だいたいの人はこういうふうにリアクションする。」というデータがなければ、私は会話もままならないんです。
もはや歩くビッグデータやん(笑)
ふふふふふ!(笑)
学校で自己紹介をしなきゃならないときも、素でしゃべるというのが全くできなかったので、自己紹介用原稿を何枚もつくって、このパターンではこう答える。こっちのパターンにはこうやって答える。というデータを持って初めてなんとか喋れていました。
子供時代に過度なストレスを受けると、失語症になると言いますよね。
今振り返ると、いろいろと心当たりがあります。失語・吃音・チック症。思っていることのうち、言葉にできるのは十分の一くらい。しかも意図したこととは真逆に言ってしまうことも。誤解を与えることはとても多かったですね。
おそらく態度も悪かったのでしょう。
目つきも悪かったのでしょう。(笑)
誰も信用していませんでしたからね。(笑)
研究者から営業へ
お店のかわいいロゴ
研究の仕事は楽しかったですか?
実験して新しい情報をたくさん集めて、誰かの役に立つ形でアウトプットをする。
そういった仕事なので、とても楽しかったですよ。
これまでの人生で私に与えられた情報は随分と歪められ続けてきたので、どんなことでも客観的事実を集めないといけないという研究の世界観が自分の性に合ったんでしょうね。
なんで研究者の道を選ばなかったんですか。
研究の世界では私は生きていけなかったと思います。
あまり何かのせいにしたくはないですが、ADHDや鬱の傾向が強く、実験や正確な作業がめちゃくちゃ下手くそでした(笑)
大学でカウンセリングしてもらって、鬱、ADHD、乖離症状(二重人格の初期症状)などの傾向に対策をしてました。
研究中も、過集中したり、集中が途切れてぶっ倒れたり、数日音信不通になったり、極端なことしてましたよ(笑)
アカデミアの世界からなんでまた営業に?
特にこだわりはないのですが、営業は純粋にたくさんの人に会えて楽しいですね。
大学では論理的に話ができる友達のおかげで、改めて日本語を覚え直すことができました。
最初は営業をしているつもりはなくて、ただただ人に会っていろんな話をするだけでした。
でも繰り返しやっていくうちに、
「ああ、この人はこれをしてほしいんだ」というのがだんだんわかってきて、人の役に立ちたくて、それを自分ができる範囲で応えていたら、気づいたら営業マンみたいになってました。
営業は、本質的な商売として、人のニーズを満たすお仕事ですもんね。
そうですね。
これやりたい。あれやりたい。っていう話があったらをそれを実現をする。できる人を紹介したり、お手伝いする。それで喜ばれる。
これから
今、何してるときが一番楽しいですか?
人と話をしているときが一番楽しいです。
それはいいことですね。データ集めだけじゃなく、会話そのものを楽しめるようになられて、私も嬉しいです。
今はデータ集めよりも、賢いデータの使い方を試行錯誤しています。
いろんな方に話していただいたおかげで、自分の中に知見を蓄えることができたので、これからは恩返しとして周りの人達に貢献したいという思いがあります。
今後はどうされていきたいですか?
人生で一番したいことは、
何かに困っていて、何をどうしたらいいのかわからないという昔の私のような人に手を差し伸べることです。
それができるようになるには、もっと多くの人とスムーズに協力しあって、さまざまなことに貢献できる状態を作らないといけない。そんな想いから、いろんな人と会ったり、一緒に働いたりしたいと思っています。
本日は貴重なお話ありがとうございました。
こちらこそありがとうございました。
まとめ
Yさん曰く
ネット上の記事をたくさん読んで、いろんな考え方の人がいるんだってことが分かって、それに救われたんです。
願わくば、この記事も、今現在困っている、だれかの救いとならんことを。
Yさんとつないでもらいたい!という方は、お問合せフォームからご連絡ください。